「豊見城城址」とは
・読み方は「とみぐすくじょうし」
・1400年頃に、のちの南山王となる汪応祖(わんおうそとも読む)が築いた豊見城グスク跡
・「豊見城市」の由来はこのグスク
・戦争で原型が失われ、その後民間企業が買収。公園として整備する際に、残っていた石門や城壁も失われた。そして1973年に「とみしろ城址公園」がオープン
・その後2003年から長らく閉鎖されていたが、2017年には「沖縄空手会館」、2022年には「おきなわ工芸の杜」がオープンし、新たに整備された「豊見城城址」は今年2/21に一般公開
「豊見城城址」の駐車場と入口
周辺の駐車場は「おきなわ工芸の杜」(約70台)、「沖縄空手会館」(約100台)、「豊見城城址西側駐車場」(約120台?)があります。
※公式に停めていいのかは不明
公園に一番近い駐車スポットは、「おきなわ工芸の杜」の地下駐車場に一旦入り、出口方面へ進むと建物の裏側に回れて、そこに縦列駐車できる場所があります。
公園の入口は他にもあるようですが、今回は「おきなわ工芸の杜」の裏側から入りました。

那覇市を一望できるエリアと公園内の景色
少し進むと那覇市を一望できる開けた場所が!
ベンチがいくつかあり、ここでピクニックしている方が何組か居ました。

ここからは那覇市の景色、とよみ大橋、漫湖の湿地がよく見えます。
とても気持ちの良い場所でした!

きれいに整備されている歩道(*^^*)

山部隊野戦病院 患者合祀碑
また歩道に沿って進んでいくと、「山部隊野戦病院 患者合祀碑」がありました。
山部隊とは旧日本陸軍第24師団の通称。
この辺りは地下に人口壕があり、戦争中の野戦病院でした。
きれいな花が手向けられています。

旧日本陸軍第24師団第2野戦病院壕跡
・1945年の沖縄戦末期に、住民も動員して手掘りで築かれた病院用壕跡
・総延長は300mにも及ぶ
・負傷者が次々と搬送されてくるため、常に600名近い負傷者がいた
・軍医や衛生兵など約200名の部隊、積徳高等女学校の生徒25名が看護隊として配属されていた
この階段を降りると「旧日本陸軍第24師団第2野戦病院壕跡」の入口があります。

今回の整備で、入口には頑丈な柵ができました。
壕内の図もあります。


豊見瀬御嶽
また歩いていくと少し離れた所に「豊見瀬御嶽」がありました。

・内部へは豊見城ノロとビンシー(御願道具)を持つ人のみが立ち入りを許された
・ハーリーと雨乞いの祭祀に参拝されていた
・その横では豊見城集落の各按司神が祀られている
ハーリー発祥の地
この豊見城城址は「ハーリー発祥の地」でもあります。

・琉球王府の歴史書『球陽』によると、城主の汪応祖が、留学先の中国の雨乞いの儀式であった龍船の競漕を見て感銘を受け、帰国後に真似て龍船を造って漫湖で遊覧した。これを見た那覇、久米、泊の村人が競漕したのがハーリーの始まりとされている
・旧暦5月4日には那覇、久米、泊のハーリー三隻は豊見城御嶽に参拝したと伝えられ、現在も毎年5月に豊見瀬御嶽で拝礼の儀式が行われている
豊見城城址は、沖縄の歴史、文化、戦争、自然など、多岐にわたるものが感じられる素晴らしい場所ですね(^o^)
「おきなわ工芸の杜」や「沖縄空手会館」でのイベント帰りや、ピクニックにぜひ訪れてみてはいかがでしょうか♪
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